常日頃意欲満々に至極元気な村上さん(二十三回)が突然四月二十日に急逝されるとは、私にとっては驚きの外言葉もありません。

 つい先日四月二日太宰府天満宮北神苑の松島茶店で盡食を共にしたばかりでしたのに。その日先輩はたくさんの資料を大きな紙袋に持参され十二時から三時半まで食事の時間も惜しいような様子で山のことや学校のことなど話されました。
 私は二日後の四月四日松島茶屋の同じ席で(太宰府支部の観桜会)村上先輩の真摯な態度に感銘し二十二名の出席者に対し少し時間をいただいて先輩の話をしたのでした。何時も福商会の行事には出席される村上さんとお話しするのがたのしみでした。平成十四年六月十三日福商会評議員会の時福岡市総合図書館発行の「カフェと文学レイロであいましょう」の本をいただきました。これには福商の先輩の名前も出てくるし私には貴重な資料でした。
 特に親交を深めたのは私が若い時宮崎県東臼杵郡諸塚村揚水発電所の建設に従事し約三年諸塚村に単身赴任で住んでいたことを話してからのことです。村上さんは山のことなら何でも知りたく当時昭和三十二年から三十五年頃の諸塚村のことを何でもいいから聞かしてくれとのことでした。村上さんは福岡山の会の最古参であり諸塚山には昭和十七年に登山され最近では平成六年に再度登山されています。諸塚山は標高1341.6メートル日本一早い山開きで有名です。たくさんの山に登っておられますが卒寿記念登山は釈迦岳。近くは平成十三年、二日間で綿密に計画を立て屋久岳登山をされています。最後は四月六日に亡くなられる二週間前に背振山に登っておられます。たくさん持参された資料にはそれぞれ栞がはさんであり感心いたしました。福岡山の会発行の分厚い記録の本にも栞がはさんであり福商山岳部の活躍(ここに蔵本さんの名前があるよ)についてもはじめておしえていただきました。

 村上さんの登山人生の中で特筆すべきは一九四二年福岡県星野村の熊渡山で「従是西筑後国」と刻んだ国境石を発見されたことです。この村上さんの発見を機に県の文化財保護委員会が再発見に努め十五年かけて七十四本発見しています。当時金山の権利をめぐる天銘日田との関係もあり貴重な歴史資料の発見だったのです。もう一つ村上さんのお話で記憶に残ったのは同級生に何と宮崎県東臼杵郡椎葉村岩屋戸から入学していた人がいたということです。その方の名は田原謙一郎氏でテニスの選手だったとのこと。当時は松原校時代で卒業生は百名に満たない時代でしたが、遠く椎葉村から福商校をしたい入学していた人がいたとは驚きでした。若い頃このことを知っていたら田原さんと二人で諸塚福商会ができたのにと思いました。

 六月の全国合同同総会で逢いましょうと別れたのが最後でした。想い出はつきませんがご厚誼を得たこと厚く厚く御礼申し上げます。母校を愛し、山を愛し、後輩を愛した先輩の生きざまの一端を記し弔意を表したいと思います。どうか安らかにお眠り下さい。合掌。

 天満宮本殿西側をひたすら松島茶店へと急ぎ足の先輩の後姿が忘られません。

太宰府支部支部長
39回 真鍋正夫

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