第5回は藤谷君からの紹介で71回生の野田富士子さんに登場していただきます。
 昨年ZeppFukuokaのイベントでは、企画運営のために集まったfukusyo@ネットワークのリーダーとして活躍されました。
 藤谷君とはZeppがきっかけでお知り合いに。さあどんなお話しが聞けるのでしょう。
 さっそくどうぞ。

【PROFILE】
 ■name : Fujiko Noda
 ■birthday : 1954.dec.13th
 ■height : 160cm
 ■weight : ??kg
 ■graduation : 1973.3(#71)
 ■mail : not yet


― こんにちは。今日はよろしくお願いします。まずはお仕事など近況を教えて下さい。
「仕事も忙しいけど、先月末から結婚式で東京に行ったり、バレーボールの試合が入ってて、土日もゆっくり休む日がないね。」

― バレーボールの試合ですか。在学中もバレー部だったそうですが…
「えーと、中学一年から始めて、福商を卒業して2年くらいブランクがあったけど、それ以来ずっと続けようよ。」

― ずっと続けてるなんてすごいですね。
「好きだからね。でもやってる人はずっとつづけてるよ。中一でバレーを始める頃は身体が細くて、ジャンプ力をつけて身体をつくるために入部したんだけどね。福商在学中の頃、モモを鍛えると言ったら、ウサギ跳びでしょ。当時バレーボールコートは体育館の横(現在運動部室が建っている場所)で、夏の合宿でもコートの周りを50周もさせられて‥、今じゃ考えられんもんね。」

― ホントですね。ウサギ跳びはさせないですからね。さて、学校での思い出はのち程ゆっくり伺うとして、今回、藤谷君から昨年のZeppFukuokaのイベントのつながりで紹介され、登場していただきました。Zeppといえば、リーダーとして携わった『fukusyo@ネットワーク』(以下ネットワーク)は避けてとおれないんですが、このネットワーク立ち上げのきっかけはどんなことだったんですか?
「きっかけね‥‥。百周年事業は勿論のこと、自分達の当番幹事が終わった時点で一切(福商会の行事には)タッチしないって決めとったと。まあ、毎年同窓会のチケットが30枚くらい来るから、それは何とかしてたけどね。
 それで、上田さんご本人(百周年記念事業福商会実行委員会室長)や福商会の佐々木さんなどから、何度も電話をもらって『どうしても会ってくれ』と言うことで、半分根負けして、上田さんに会いました。そうすると『(同窓会に)若い人が来ない。なんか方法はないか』て、おっしゃるわけ。
 若い人が来ないと言われてもね、方法とかも分からんし。ただ福商って女子が多かったやない、生徒会長も女子やったりして。だから福商会の中でも女性を惹き付けないと成り立っていかないってことになったっちゃないかいな。それで女子部みたいなものをつくるから人材をあつめてほしいってことになったたいね。」

― 野田さんに声がかかったのはなぜでしょうか。
「なんで私にお呼びがかかったか、それは分からん。私の一つうえ(70回生)に、…70と切りがいいし…、70回生をまとめてくれる人がいて。その人の言うことなら70回生みんながきいてくれるって人がおったとよ。
 でも考えてみれば、一昨年(百周年の一年前)市議会選挙があって、その時の流れで上田さんに会ってしまったわけよ。」

― 「運命の出会い」ですね。
「そう。その時からずーっと言われよって。今からは女性を集めとかんと続いて行かんって。とりあえず女子部ってことで立ち上げたったい。」

― それからは順調に…?
「いや、中身を考えていったら、そんな甘い考えじゃやっていけないし、初めて集まった時はバリッと失敗して。…ひどく落ち込んだよ。もうどうしよう、帰ろうかと思った。
 先輩にも相談したよ。自分の器じゃない。人は集めないかんけん、それは集める。とにかくリーダーをかえてくれって。自信も何もないし、自信を持てないものは続けられないもんね。」

― かなり、悩まれたようですね。そうしながら最後までリーダーとしてやり遂げられたんですが、何に支えられたのでしょうか。
「自分達が呼んで人が集まってきてだんだん物事が動き始めて…。いつまでも『できん、できん』って言ってられんもんね。投げ出すのは簡単。仕事でもなんでもないしね。
  やっぱり、力になってくれたのは同級生のみんなかな。一人ではなんにもしっきらん。言ったらやってくれる仲間がおると思うけん、できたっちゃんね。」

― 立ち上げも大変苦労されたようですが、実際Zeppに向けて動き始めてもさらにご苦労があったんでしょうね。
「立ち上げて(1999年4,5月頃)から7名くらいで、自宅の電話からパソコンから使って卒業生に連絡して、知らない人によ、どんなことをしたらみんなが来てくれるかをきいてさ。その中から吉本興業の人を呼んだりすることが出てきてね。そうやってアイデアをまとめてZeppでやろうと決めたんよ。」

―  そして、「百周年…」に打ち上げたんですよね。
「そう。そしたら、最初はえらい反発を食らってからね。もう小江ちゃん(72回生)とふたりで帰ろうかって言いよった。ホント凄かったよ。でも、若い人たちを呼ぶためにみんなに聞いて決めたことやろ、こうしたら来るよってことをまとめてきたわけだから、ボンボン(意見をまとめるまでのプロセスで感じていることや考えたことを)言った。
 それから何度も何度も話をしたり、飲みに行ったりしているうちに『最初は生意気だと思いよったけど、そうやって若いみんなが来てくれるなら、やってくれ。』と言ってくださるようになって、結構上の先輩の方が理解してくれた。特に後藤さん(百周年記念事業実行委員長)に『よかよか、やればどげんかなるやろ。やんな、やんな。』って言ってもらって‥、ホントにどげんなるか知らんよ、でもそう言ってくれてるのがとても心強かったね。」

―  そうやってようやくGOサインが出て、その後女子部の中に男性を入れてきてネットワークになったわけですが、Zeppの企画を進めていく中で苦労したのはどんなことですか。
「そうやね‥、やっぱり70回台と90回台がぶつかった時が一番。もうあの時はどうしようかと思った。分裂してしまったら時間もないのにって。代表の人たちから呼び出された。カラダは一つしかないのに。でも話は聞かないかんけん、話は聞いた。それで『そうじゃないっちゃない、こうもできるよ。』ていうことは言った。
 ぶつかった原因はその世代の感覚やちょっとした考え方の違いだと思う。70回台はやらなきゃいけないと言う考えが強かったし、それぞれに(こういったイベントの)経験があって、それなりに意地もあったのかなと思う。
 みんなもやりながら感じたことがあったと思うけど、世代間だけでなく、同級生の中でもこの感覚や考え方の違いがあって、Zeppのイベントも 『やらなきゃ』という気持ちでやったと思うったい。ホントは『やろう』とか『やりたい』と思っていけるともっとよかったけどね。」

― いろんな苦労があって、なんとかZeppもカタチになったと思うんですが、これはよかったと感じたことはどんなことですか。
「イベントの終わりの方がピシッとならんでから、人がおらんようになって残念やったけど、とにかく終わらせることができてよかった。課せられたものはクリアできたと思う。目標(動員人数)には届かなかったけど、雨の中初めてやってあれだけ入れば『よし』としなきゃいけなんじゃない。
 立ち上げからいろいろあったけど、イベントをとおしてみんながやってきたことがだんだん(先輩たちに)認められてきたと思うよ。」

― 今後のネットワークの活動についてお話ししていただけますか。
「私はZeppが終わったら、今度こそなんにもタッチしまいと思っとったけど(笑)、なんかかんかしてるうちに学年(の同窓会)も見らないけんようになって、なんか離れられんみたい。
 先輩たちにもネットワークというのが認められてきて、『何かことあるごとにネットワークというのがちゃんとあるんだよとアピールした方がいいんじゃない。』と言われたし、毎年の同窓大会で何かをやるといいよとも言われてて…。ネットワークだけでは決められないのでそのためには福商会の理事に若い人を入れて、理事会で発言できる状況になればいいね。
 と同時に、同窓大会に向けては当番幹事と連携をとっていきたいね。
(次回の幹事77回生と連絡をとり、8月25日の学年同窓会から進展を逐いながらこのHPで紹介する予定です。:ネットワーク談)とにかく、若い人たちも楽しめる同窓大会にしたい。
 その他は‥。そうね、新年会に、春には花見もやったけど、若い人にとって私たちは親とも違うし、仕事上の関係でもなく、同じ学校の同窓生と言うことだけで話ができる。自分達の年代では外に出た時の人間関係は大変で、こんな感じで接することができるのはとても新鮮。誘ってくれればホイホイ出ていく自分がおるけんね。もう、ドンドン続けていきたいね。
(温泉旅行、クリスマスパーティーなどを企画中です。:ネットワーク談)

―  いわゆるしがらみのない関係でいろんな話ができて楽しそうですね(笑)。さて、昨年一年間また準備期間を含めればさらに長い期間、福商(学校自体)のことを考えたと思うんですが…。
「う〜ん、やっぱり『福翔』に校名が変わったのがね…。なんか違う学校になったような気がしたね。あと一年待って百周年を迎えてから変わってもよかったちゃないかいな。そうすればもっと大勢の人が集まったちゃないかいなと思うね。
 で、この前(7月8日)の同窓大会の時に渡り教頭先生が『地域で生きていける人間をつくりたい』っておっしゃってた。やっぱり若い人たちの気持ちをつかまえんことには学校の活動も続かんよね。」

―  そうすると質問が戻りますが、その点においてもネットワークの入り込む余地があると考えていますか?
「うん。…自殺した娘がおったやん、とても残念やった。どうしてあんなことを残して死んでしまったのか。そう思わせた学校は何なのと思った。私たちに話してほしかった。こんなことにならない様にネットワークとして、現役生を含めて対話ができる環境をつくっていきたい。
 そもそも私たちの頃は学校がホント楽しかった。バレーは苦しくてしたくなかったけどね。自殺なんてことは考えもしなかった。」

― 文化祭、体育祭その他の行事でも団結するような感じですね。そんなところが野田さんにとっての福商ということでしょうか。
「そうそう、クラスマッチってあったやない。女子はバレーやったろ、他のクラスの男子は応援に来なかったけど、うちのクラスはみんな来てくれてから…、ホント自慢やったよ。うちのクラスが私にとっての福商やん。とにかく、気持ちの上で自由やった。いろんなことも大目に見てもらいよったよ。いつもバカばっかりしよった。
 甲斐(よしひろ)さんはいつも中庭で歌いよったし、…まさかあんなに有名になるとは思わんかった。デビューした時にはチケット買って応援したよ。」 

― さて最後になりますが、先輩、後輩へ一言お願いします。
「一言ね…。それじゃ、最初に後輩のみなさんへ。まず学校が好きだったかなって、尋ねたい。で、好きだったらみんなと話し合える場をたくさんつくっていきたい。そのためにもネットワークを土台において『いつでもいいよ、入っておいで。』って。
 親に言えないことってあると思うったい。そんなことでもバカ言って話し合えるところがあるよって分かっていてくれてたら、自分だけで苦しまずにすむと思う。とにかくあの自殺した娘のことがすごくショック。病気を苦にしてそうなってしまったら、私も助けられんかったって思えるけど、健康な娘が死んでしまおうと思い詰めてしまう状況になったのがホントに残念だった。『あなたの16年は何だったのよ』って言いたい。
 それから、先輩のみなさんには『流されんでください』て言いたい。…読む人それぞれに意味の取りようがあると思いますので、あえて具体的には言いません。いろんなことに流されないで下さい。」

― 野田さんのお話しを聞きながら、ネットワークがひと回りもふた回りも大きくなってみんなに優しいものなっていけばいいなと感じました。これからも活動続けていって下さい。 今日は長い時間ありがとうございました。
「今春卒業した99回生のみんなも入ってきてくれたし、どんどん楽しいことやっていきたいですね。ありがとう。」

Editor:Coppa Mijinco

次回、第6回は…
ただいま交渉中です。
だんだん上の先輩になるのかな
決まり次第『福商バス停』でお知らせしますので
どうぞご期待下さい。


▽▲▽ 編集後記 ▽▲▽
 2時間をこえるインタビューからこの「わ」の記事にしました。
 寄り道する話の内容には、教育の問題をはじめ興味深いものがあり、私も大変勉強になりました。また、ネットワークの今後の活動もホントに多岐にわたっていきそうで、やってる人たちがイベントを楽しんでるのがイイ感じです。
 みなさんも見てるだけでなく参加してほしいなと思いました。